今月のエッセー 侃々諤々
2017年8月号

第29話 いつまでもギター小僧で

小さい頃から音楽好きで楽器演奏に興味があった私が、初めてヤマハのフォークギターを買ったのは中学一年生でした。ピアノやバイオリンなどとは違って独学でもなんとかなりそうだと考えたからです。その頃流行っていたアリスや松山千春、さだまさしの曲でコードストロークやアルペジオを練習しました。ある程度弾けるようになるとエレキギターにも興味が湧き、三年生になるとグレコのレスポールレプリカを購入して文化祭で初のステージを経験しました。キーがEでソロも短く簡単だったのでサザンオールスターズの「C調言葉にご用心」を演奏しました。今思えば中学生が歌うにはずいぶん大人びた歌詞の内容でしたが。

高校に入るとM君というとてもギターが上手な同級生と出会いました。彼はナックの「マイ シャローナ」やレインボーの「アイ サレンダー」のソロパートを淀みなく弾けました。かっこいいフレーズを完全コピーできるかどうかで序列が決まるロックギター小僧の世界で、私は完膚なきまでに打ちのめされました。彼と同じバンドで出演した高一の文化祭ではサイドギターに甘んじて、コードをジャカジャカ鳴らすバッキングとわずかながらのハモリパートを弾いただけでした。

このままではイケないと猛練習を始めたところ、それなりの成果を得て独り立ちすることができました。高二の文化祭ではハードロックバンドでマイケルシェンカー、ヴァンヘイレン、ジャーニー、ラウドネスなどを演奏し、高三ではフュージョンに挑戦してカシオペアのコピーバンドで出演しました。M君も私の「進歩がすごいなあ!」と驚いていたらしく、後から別の友人経由でそのことを聞いた時にはとても嬉しかったことを覚えています。確かにいま振り返ってこの頃が最もギターに没頭した時期でした。

大学入学後はしばらくフラフラしていたものの結局軽音楽部に入部しました。学園祭のライブでは、複数のバンドを掛け持ちして演奏したりPAなどの裏方業も経験しました。ステージを成功させるためには、各人の演奏技術だけではなく、多くのスタッフによる小さい努力の積み重ねと熱意が必要なんだと勉強しました。クラブ活動を通じて様々なジャンルの音楽や個性豊かな先輩後輩に出会うことができたことは、その後の人生における大きな宝物になりました。

大学を卒業後は、消化器外科医として一人前になるべくひたすら仕事に打ち込む毎日となり、ギターを演奏することはもちろん、ゆっくりと音楽を聴くことさえほぼ無くなりました。

そして…五年前のこと。医師になってからも根気よく活動を続けていた先輩バンドからの声かけをきっかけに、ほぼ四半世紀ぶりにライブハウスに出演することになりました。メンバーは済生会滋賀県病院の増山先生(ギター)、その同級生であるO先生(ヴォーカル)と私の三人です。増山先生とO先生は学生時代から一緒に活動をされていて、私はそこにお手伝いとして呼んでいただけたのです。わずか数曲を演奏するために、これまた一体いつ以来だろうというスタジオでの練習を何度かやりました。三人とも期待と不安いっぱいで迎えた本番でしたが、いろいろな人たちの支えもあり、無事にステージをこなすことができました。そしてその感動が眠っていた私たちの音楽魂に火をつけてくれたのです。

私たちは正式にバンドとして活動を続けることとなりました。さらに自分たちの子供ほど年の離れた大学軽音楽部の後輩たちがベース、ドラム、サックスとして参加してくれることになり、夢のような音楽活動を再開することができたのです!今では軽音楽部主催のOBOGライブや複数バンドが集まってのライブハウス演奏会など、コンスタントに出演しています。そして三年前からはジャズフェスティバルにもエントリーするようになり、幸いにも毎年なんとか予選通過して出演させてもらっています。

さて今年もまた大津ジャズフェスティバルに出演できることになりました。しかも二日続けて!10月14日(土)は増山先生と私のギターデュオで渋くジャジーな演奏をしたいと思います。会場は大津駅前商店街の入り口にある創業100年のおそば屋さん「そば處 やま喜」さんの二階で、16時から40分間のステージです。15日(日)は京阪浜大津駅改札口に設けられたステージで正午から40分間、バンドで派手に演奏します。どうか皆さま、もしよろしければお越しいただき盛り上げてやってくださいませ。

いつまでもギター小僧で、私はこれからもずっと音楽を続けていきたいと思います。

小出一真(てはらクリニック)

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